材料は島根で生まれた草木と綺麗な水。
自然から生まれたまじりっけない存在。
さまざまにかたちを変え寄り添う存在でいたい。
つくることの喜びと暮らしをつなぐ。

暮らしに、
創造に、
あなたに、
寄り添う和紙。

広瀬和紙 紙季漉は今の暮らしに寄り添う和紙の形を紙のように柔らかく、真っ直ぐに創造してゆきます。

広瀬和紙の特徴

広瀬和紙は、毛羽立ちが少なく、
コシと耐久性に優れた和紙です。
にじみが比較的少なく、
厚手の和紙づくりを得意としています。
用途や表現に合わせて紙づくりの段階から
相談できるのも特徴のひとつ。
つくる人の思いに寄り添いながら、
紙そのものから一緒にかたちにしていきます。

つくり手について

大東 由季

Yuki Ohigashi

手漉き和紙職人

京都伝統工芸大学校 和紙工芸専攻を卒業後、島根県浜田市にて石見神楽の面・大蛇・衣裳などに用いる和紙制作に従事。

その後、広瀬和紙五代目・長島勲氏に師事し、3年間の修業を経て6代目として広瀬和紙を継承。
2021年に工房「広瀬和紙 紙季漉」を開業、2022年にはショップ兼ギャラリー「彩工房 紙季漉」を併設。
伝統技法を基盤に、現代の暮らしに寄り添う和紙のあり方を探求している。

大東 直美

Naomi Ohigashi

草木染・押し花染め

和紙制作の手伝いをきっかけに草木染めを学び、鳥取市の染色作家・近藤樹里氏に師事。
押し花を用いた染色技法「ミディアムプリント®」を習得。
現在は広瀬和紙に特化した染色表現を研究し、植物の色や形を活かした和紙の新たな表現を探求している。

  • 城下町・広瀬

    安来市広瀬町は、戦国大名・尼子氏の本拠地であった月山富田城の城下町として発展してきた、歴史あるまちです。
    山陰一帯を治める拠点として築かれた城の城下町であったことから、政治だけでなく文化の面でも成熟した土地であったと考えられています。
    江戸時代には、松江藩の分家である広瀬藩の藩庁が置かれ、城下町としての機能が引き継がれました。
    人や物が集まり、町にはにぎわいが生まれ、現在もその面影を感じることができます。

  • また、広瀬町周辺は、ものづくりの文化が色濃く残る地域でもあります。
    かつて「たたら」製鉄が盛んに行われており、その活気から宿場町として栄えていました。
    山の恵みを生かした産業が、人の往来と暮らしを支えていたことがうかがえます。

    さらに、安来市は民藝運動の立役者のひとりである 河井寛次郎 の出身地でもあり、民藝運動に熱心だった地域のひとつとして知られています。
    戦国から近世、そして現代へ。 城下町としての歴史、ものづくりによって育まれた文化、人の暮らしへのまなざし。
    それらが重なり合いながら、広瀬町は独自の文化と風土を今に伝えています。

  • 広瀬和紙のこと

    広瀬和紙は、近世に入ってから松江藩の紙漉き技術者をこの地に迎え、和紙づくりを始めたことに由来します。
    以来、江戸時代を通じて約300年余り、地域の産業として人々の暮らしとともに受け継がれてきました。
    冬の澄んだ空気と清らかな水に恵まれた広瀬の地は、和紙づくりに適した環境です。当時は農業のかたわら、冬の農閑期に取り組める仕事として紙漉きが行われ、生活を支える大切な営みのひとつでした。時代の流れとともに需要や用途は変化しながらも、手仕事ならではの和紙の魅力は見直され、現在も制作が続けられています。

  • 広瀬和紙の大きな特徴のひとつは、用途に応じて複数の原料を使い分けてきたことです。
    かつては主に、楮(こうぞ)・三椏(みつまた)・藁(わら)の三種類の原料が用いられていました。
    その昔、藩札の発行には丈夫な楮紙が必要とされ、楮を使った和紙が多く作られていたと伝えられています。
    また、広瀬藩では農家の副業として藁半紙の製作を奨励しており、身近な素材である藁を使った紙づくりも行われていました。

    時代が進むにつれ、和紙の用途や需要も変化していきます。
    ある時代には障子紙の需要が高まり、主に楮を使った紙が多く作られていました。その後、三椏を使ったやわらかく発色の良い和紙が中心となり、ちぎり絵用の和紙として全国へ出荷されるようになります。
    生産された和紙の多くが、表現のための素材として使われてきました。

  • 現在は、用途や時代に合わせ、素材選びを大切にしながら、楮紙を中心に、国産の楮・三椏を使用し広瀬和紙ならではの風合いややさしさを活かした紙づくりが続けられています。

  • 手漉き

  • 加工

  • 染色

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